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もう一度テレマークスキー 心機一転買ってしまった [テレマークがうまくなりたい!]

G3 スティンガー78XCD166 タルガXマウンテン テレマーク

G3 スティンガー78XCD166
G3タルガXマウンテン
スコット KENAI

 過去の記録をみてみるともう4年もテレマークをしていません。かといって山スキーで行けば、自己流の滑りも体力がなくなった今となっては山で歯が立たないし、ブーツで足は痛くなるしで、スキーからすっかり遠ざかっていました。

 しかし玉造のテレマーク専門店「SOU」へ行って、店主と色々話をしていて、「ようしもう一回やってみるか」という気になりました。今度はちゃんとスクールへ行って学びたいと思っています。

 体力的に「今のうちにやりたかったことをやらないと一生できないことになってしまう」と、最近つくづく思うのです。
  
 早く雪が降ってほしいですね〜。

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平成の30年の時をへて「新版冬期クライミング」が出版された [山の本、TVなどメディア関係]

 電車まで時間があったのでぶらりと駅の本屋さんに寄ったら、「新版冬期クライミング」という本が置いてありました。こんな本を買う人がこの街にいるのだろうか?とびっくりしました。

 「もうこんな本を買ってクライミングすることもなかろう」と思い、一度はホームへの階段を登りだしましたが、急に思い直しレジに本を持って行きました。

 ウインター・クライマーズ・ミーティング(略してWCM)編とあります。WCMはクライマーの馬目弘仁さんらが呼びかけた集まりです。「はじめに」で元クライミング・ジャーナル編集長の菊地敏之さんは「海外でも国内でも世界標準のスタイルで難度の高いアルパインクライミングが行われていた」としたうえで、次のように書いています。

 特に2000年代に入ってからはその傾向はさらに激しく、大きな情報とはなっていないものの内容的にはほとんどセンセーションともいえるものが目白押しに報告されていた。


 そうして情報を集めていくと、皆のレベルの高さ、そして何よりも密度の濃さに驚かされるばかりだった。正直、国内アルパインクライミングがこんなに盛んに、70年代を超える勢いで行われていることに、個人的には驚嘆するばかりだった。


 新版に収録されている山は、利尻山、上ホロカメットク山、黒伏山、谷川岳、足尾、戸隠、剱岳、黒部別山、黒部丸山、白馬岳、不帰、鹿島槍ヶ岳、赤沢岳、唐沢岳幕岩、硫黄岳、槍ヶ岳、赤沢山、穂高岳、笠ヶ岳、錫杖岳、甲斐駒ケ岳、北岳バットレス、八ヶ岳、宝剣岳、御在所岳。

 30年を経てまさに平成の終わりに、再び新版を発行するとは、なかなか粋なことをしてくれるものですね。さすが白山書房さんです。

 さあモチベーションが上がるでしょうか?安易な気持ちは禁物ですけどね…

*************************************************************************
 私が持っている"初代"冬期クライミングは平成元年12月(1989年)に出版されました。西村豊一氏とクライミング・ジャーナル編集部編です。当時は無積雪期のルートを冬期に登った記録が多いですね。

 "初代"に収録の山は、穂高の屏風岩、前穂東壁、滝谷、唐沢岳幕岩、丸山、奥鐘山西壁、剣岳、鹿島槍ヶ岳の北壁、荒沢奥壁、北岳バットレス、甲斐駒ヶ岳の赤石沢奥壁、坊主岩、サデの大岩、谷川岳、八ヶ岳

 
新版 冬期クライミング (クライミング・ガイドブックス)

新版 冬期クライミング (クライミング・ガイドブックス)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 白山書房
  • 発売日: 2018/10/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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丹波篠山・多紀アルプス 岩尾根が楽しめました [関西の沢と岩と雪]

 飲み屋街の「○○銀座」のように、全国の山にあるのが「○○アルプス」。いわゆる「ご当地アルプス」というものです。「○○銀座」はどこか侘しさや寂しさが付きまとうような気がするのですが、「○○アルプス」は「岩場があるはず。一体どんなところなんだろう」と心惹かれるものがありますよね。というわけで、前から気になっていた多紀アルプスへいくことにしました。

三嶽登山口

 篠見四十八滝から粟柄まで縦走するのが一番良いと思って計画するものの、公共交通機関の日帰りは難しいです。今回はお手軽に火打岩(ひうちわん)の無料駐車場に車を停めて周回することにしました。三嶽への登山口は民家の脇を抜けて行きます。

三嶽への道 最初は杉林の中の丸太階段

 ここからは急登が続きます。丸太階段を抜けて尾根状に上がると大岳寺跡(みたけじあと)という場所に着きました。

大岳寺跡

 あまり知らなかったのですが、この辺りは丹波修験道場の新金峯山大岳寺として平安時代から栄え、一時は大峰山をしのぐほどだったということです。大岳寺は1482年に本山の大峰から登山の催促があったのに応じなかったため怒った吉野の山伏約300人に焼き払われたとのこと。

三嶽 頂上

 やがて三嶽に着きました。御嶽とも書くようですが、今回は国土地理院の表記を参考にします。三嶽には中継所?があり見晴らしはさほどききません。直下には東屋と簡易トイレがありました。

三嶽の石室

 山頂のすぐ下にある石室です。

小金ヶ嶽へ

 山頂から北へ向かいます。小金ヶ嶽が見えます。なかなか威厳のある山容です。

フォレストアドベンチャー・丹波ささやま

 大たわ峠には道路が通じていて、立派な駐車場とトイレがあります。さらに「フォレストアドベンチャー・丹波ささやま」という野外施設があって、そんなに利用者がいるのかな?と思いました。とは言うものの、一度こういう体験をしてみたいです。

アルプスの所以か…

 だんだん岩交じりの尾根となってきました。

小金ヶ嶽への途中

鎖場が出てきた

三嶽が堂々としている

 振り返ると三嶽が堂々としています。この辺りはアルプスの名前の所以と思われる岩尾根が続きます。鎖場もあったり、一部ではありますが、岩稜上りの気分が味わえます。

小金ヶ嶽の頂上

 小金ヶ嶽の頂上は、団体さんがいました。私はお弁当を食べます。眺望はとてもよかったです。

大きな岩があった

 そこから下りです。急なところもあって慎重に下ります。途中大きな岩がありました。前傾している部分もありました。
 この辺りはクリンソウの自生地で5月初旬から6月にかけて楽しめるということです。地元の方が暖かく見守っているようですね。

火打岩の集落に戻ってきた

 やがて火打岩の集落に着きました。ようやく行けた多紀アルプス。アルプス感はそこそこ楽しみましたし、山容の立派さ、修験道としての歴史も加わり、印象深い山行となりました。
 下山口に「いわや」という料理屋にたくさん車が停まっていました。家に帰ってネットで調べると、完全予約制の牡丹鍋のお店のようです。ゆっくり食べてみたいものです。

■無料駐車場(8:25/9:45)三嶽(9:55/10:54)小金ヶ嶽(11:17/12:20)無料駐車場

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奈良・忍辱山円成寺 静かに紅葉を楽しみました [大阪発家族でアウトドア]

円成寺 奈良 紅葉

紅葉

2018/11/11撮影


 奈良・忍辱山円成寺の紅葉です。「にんにくせんえんじょうじ」と読みます。

 とても綺麗でしたし、ゆっくり拝観できたのがよかったです。駐車場が少なくインバウンド客に対応できていないのが幸いしました。

 運慶作とされる国宝の大日如来像も見ることができました。運慶が25歳ごろの最初期作だそうです。

 便数が少ないバスを待っている間に日が落ちて、体が冷え切ってしまいました。バスにようやく乗ったのですが、奈良へ戻る道が渋滞を起こしていました。うとうとするにはちょうど良かったですけどね。

 久しぶりに夜の奈良の街を歩きましたが、こだわりのお店がぽつぽつとできていて楽しかったです。おいしいご飯を食べて帰路につきました。


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奈良・龍王山 久しぶりのハイキング [大阪発家族でアウトドア]

 いろいろと家のことが立て込んでいて、なかなか山登りに行けません。たまに休みがあっても家でクタ〜としてしまいます。やっぱり年ですかね〜(^^;)

 いいお天気ということで、奈良の龍王山へ行くことにしました。長岳寺へ向かうと、市営駐車場なるものがあったので、駐車しました。助かります。

長岳寺の下に市営駐車場があった

 崇神天皇陵の脇を通ります。多くのハイカーがいます。この辺りは「山の辺の道」でもあるのですね。「山の辺の道」との分岐をすぎると途端に人気がなくなります。最初は沢沿の道です。樹林が覆って光はあまり差し込んで来ません。
 龍王山古墳群をすぎてしばらくすると、長岳寺奥の院の不動明王への分岐があり、「どんなものか」見に行きました。

長岳寺奥の院の不動明王石仏

 森の中にすっくと立ち上がっている不動明王石仏です。家に帰ってからインターネットで調べると、「大和屈指の石仏」「不動石仏中の傑作」とされているそうです。確かに男前ですね。
 やがて南城跡に着きました。眼前に奈良盆地が広がります。

大和青垣の眺望

 金剛山、葛城山、二上山、生駒。奈良盆地には大和三山が島のように浮かんで見えます。
 龍王山の山城は北城跡と南城跡に別れている。二箇所に別れながら互いに呼応し合って一つの城を形作ることを「別城一郭」というのだそうだ。
 城主の「十市遠忠から息子の遠勝になって籠城もせずに城を譲ってしまった」というようなことが案内板に書かれていた。どうも息子の時代になって没落してしまったようだ。考えさせられる話だ…

龍王山 北城跡

 北城跡にも行って見た。アスファルトの道が続いていて、もしかしたら天理の方から来れるのかもしれない。北城跡は規模としては南城跡より大きい。しかし道が荒れていて登り口も降り口もわかりにくかった。
 下り道でも思ったのだが、枝がそこら中で落ちている、台風の影響ではないだろうか。そうと考えるとよく落ち枝を寄せて道を確保してくれたものだと思う。
 長岳寺に寄ったら、地獄絵図が展示されていた。400年ほど前の安土桃山時代のものだそうだ。阿弥陀信仰を広めていた真言宗としては、阿弥陀の世界と対極である地獄の様子を庶民に説いていたのだろう、と寺の方が仰っていました。ちなみに紅葉は11月20日頃からだそうです。

駐車場の案内 クライマー?

 駐車場は国道169号のファミリーマート裏の市営駐車場にとのこと。しかしハイカーはわかるけれど「クライマー」がこの辺りにいるのだろうか?私の知らない開拓中の岩場があるのではないかと想像してしまう(^ ^)

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秋祭りの季節ですね [日常]

稲刈りが進む夕暮れ

 なかなか疲れが取れないでいます。きょうも家の用事をしていたらこんな時間になりました。雨が多いと思ったら、蒸し蒸しする日が続いたりと体調管理が難しいですね。
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佐伯邦夫さんが亡くなった [山の本、TVなどメディア関係]

 佐伯邦夫さんが亡くなったと「山と渓谷」の最新号に載っていた。目にした時に思わず「えっ!」と声が出てしまった。

 山の本で一番好きだった作家であり、登山家でした。後日時間をかけて追悼したいと思います。ご冥福をお祈りします。


タグ:佐伯邦夫
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ラトックI峰北稜が登られたのですね [クライミングを復活させたい]

 再登がなかったラトックI峰が北稜からのバリエーションで登られたそうです。

 ラトックI峰というと高田直樹さん率いる隊の初登が有名ですが、高田さんがエピソードをHPに書かれています。やはり相当思い入れがあるのだなあと思います。

 岩と雪70号(1979.Oct)を見返すとクロニクルにラトックI峰を高田さんのビアフォ・カラコルム登攀隊が、ラトックIII峰を広島山の会がいずれも初登頂したことを熱く報じていました。

これによって、ラトック三山のうち未踏で残されていた二つの峰が、いずれも日本隊の手に落ちたことになる。


 70号にはメスナーがK2をアブルッティ稜から無酸素で登頂したことを報じていて、時代の熱気を感じさせます(^ ^)

■関連エントリ
Alpinist30 ラトック山群での日本人クライマーの活躍
「山から学ぶこと」京都府立大学山岳部70周年シンポに参加して


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大学バスケを初めて見ました [日常]

 二男が大学に入学し、やっぱりバスケ部に入りました。と言っても、高校時代のような猛烈な練習をしているわけではありません。キャンプと称したコンパをしたり、練習は週に2回だし、あくまで自分のペースでできているようです。

 決して強豪がひしめくリーグではありません。観覧席も他大学のチームと大学の友達がちらほらといった感じでしょうか。前半は相手型が攻める一方で、こちらも時々点差を縮めるなどしますが一度もリードできません。

 二男は2Qや3Qでコートに出てシュートを決めました。いい雰囲気になりかけるのですが、結局はまだ相手がたのペースです。

 それが第4Qの残り数分で同点に追いつき、そのまま逆転してしまったのです。二男はじめ応援席も大騒ぎでした。私も思わず手をたたいて「ゆっくり!落ち着いて!」と声をあげていました。

 相手がたはそこまでとは思っていなかったでしょう。同点にされたところで明らかに浮ついていましたもの…

 まさかの大金星!「ほんまに勝った」とベンチは大喜びです。LINEで彼は「楽しかった」と感想を寄せました。

 高校を厳しい練習に明け暮れた二男。高校時代はあんまり試合に出られませんでした。大学でもバスケを続けてくれて嬉しかったです。

 二男はいいチームに入ったなあと思いました。楽しんでバスケしてほしいと願っています。

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NHK 「小野田さんと、雪男を探した男~鈴木紀夫の冒険と死~」を見た [山の本、TVなどメディア関係]

 鈴木紀夫さんという名は、よく聞いていました。角幡さんの「雪男は向こうからやってきた」でも、鈴木さんの足跡を辿り、雪男にアプローチしていましたし。しかし、そのスピリットというか、人物像はあまり知られていないように思います。その鈴木さんのドキュメント・ドラマです。今年3月に録画していた番組をやっと視聴しました。

 70年安保で運動が疲弊する雰囲気の日本で、鈴木さんのような若者が出て行きたのはすごく自然な気がします。「小野田さんを見つけるのではなく、小野田さんに見つけさせる」のだとか、独特の嗅覚があるのでしょう。小野田さんのニュースは子供ながらに覚えていますが、その詳細がわかっただけでも楽しめました。小野田さんとはその後も交流があったそうです。

 その後の夢が雪男探しになるのですが、経済成長を続ける日本、養わなければならない家族など、自由奔放な鈴木さんはベクトルを一緒にするのは難しかったのでしょう。息苦しい世の中になっているのは間違い無いですもんね。
 消息を絶ったのは1986年。私自身の人生と重なる頃にきっと孤独な闘いをしていたのだなあと感じました。当時の社会情勢も挿入されて、たいへん興味深く見ることができました。

以下は番組見ながらのメモです。

 日本が70年安保闘争で大騒ぎになっているころ。1969年3月に23歳の鈴木さんは、世界中を放浪する旅に出ます。交通手段はほとんどがヒッチハイクか徒歩で50くらいの国をまわったという。1972年12月帰国。スペインのユースホステルで出会った楠本正さんは鈴木さんのことを「規格外の馬鹿」だという。テレビで小野田さん捜索のニュースをみる。鈴木の考えは「小野田に発見してもらう」のだと言う。小野田さん捜索に関しては1950年代から始まっていた。1億円かけた半年で三回の大捜索でもできず。鈴木さんは1974年1月ルバング到着。
 1945年ルバング陥落。41人投降。4人は潜伏を続けた。小野田さんは陸軍中野学校を出ている。宣伝によって戦意を喪失させる、と勉強。残置諜者。フィリピン人31人殺人。4人のうち一人投降、二人射殺。
 小野田さんは鈴木さんがウールの靴下を履いていたので日本人と思ったとのこと。住民から拝借したラジオで万博開催も知っていた。上官命令がないと投稿できないとのことだった。1974年02月26日、日本に伝わり大ニュースとなる。1974年03月05日上官の谷口少佐とジャングルへ。口達す。中の学校では重要なことはメモに残さず口頭で伝えるとのこと。74年03月12日羽田に帰国。小野田さんはマスコミに叩かれたこともあり半年でブラジル移住。
 鈴木さんはたまたま出会った林房雄の娘、京子さんと出会う。国重光広、堀江、植村など当時は冒険家がいた。冒険家になりたかった。1975ネパールへ。八木原国明がダウラギリⅣ峰で見たと言う情報をもとにダウラギリへ。3700m千葉ポイント。1975年11月二回目。4300新千葉ポイントへ。雪崩にあう。1978年に京子さんと結婚。すぐに長男生まれる。ネパールに新婚旅行。四ヶ月ハネムーン。1979年12月喫茶店を表参道にだす。1980年閉店。1983年長女。1986年10月に六回目のネパール。
 ドラマ部分で鈴木は「人間は自分の信じたいものを信じるものなんだ」小野田さん「新しい人生を歩め、冒険家だろ」
 1986年11月消息を絶つ。37歳。長男は8歳と長女は4歳。遺体が発見されたのは新千葉ポイント。なぜ雪崩で危険と知りながら新千葉ポイントに行ったのか?謎で、知人らは雪男を見つけ登ったのではないかと想像する。
 1988年小野田さんはダウラギリへ追悼しに行ったという。
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